こころの散歩

 食卓についているのは二人なのにタマゴが一つしかないとき、愛がない場合には、けんかになります。愛があってもまだ不完全な場合には、「どうぞめしあがってください」「いえ、あなたこそどうぞめしあがってください」と言って遠慮し合います。愛が完全な場合には、一人が心から「どうぞめしあがってください」と言うと、他の一人は心から「どうもありがとうございます」と言って食べます。人に何かを与える場合には、上の立場に立ちます。しかし人から何かを受けるときには、与える人の下の立場に立たなければなりません。けんそんでなければ受けられません。それで他の人から助けてもらうことによって、自分の愛を示す機会がその人に与えられることになります。
 このような「受ける愛」は、たしかに美しい愛です。神に対するわたしたちの愛は主としてこのようなものです。神は善の泉で、いつも与えてくださいます。この神に向かって心を開き、神がわたしたちにとっても善の泉であることを許容することこそ、人間が神に対して示しうる愛です。施す愛から与えたり受けたりする愛への転換です。

ペトロ・ネメシェギ 著 「神より神へ」(女子パウロ会)より
  

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