こころの散歩

捨てる神あり、拾う神あり

捨てる神あり、拾う神あり

 私は旅芸人の一家に生まれ、3歳から芝居小屋の舞台に立ちました。1956年には3人姉妹で「かしまし娘」としてデビューし、華々しく舞台に立ち続けました。
 ところが「かしまし娘」の活動が25年続いたころ、所属していた会社から、もう君たちの漫才はいいと言われたのです。今で言うリストラです。
 そのときは自分の天職とすら思っていた漫才を取り上げられたような気がして、世をすね、人を恨みました。しかし、物事は何ひとつよい方向に進まなかったのです。
 そんなとき、縁あって、高野山の宝亀院で得度を受け、仏門に帰依することになりました。それで、ただちに生き方が変わったわけではありませんが、日々の生活の中で自分なりに仏さまの教えを実践していくうちに見えてきたことがありました。
 それは、世間を恨み、世間に助けて欲しいと思うばかりでは人生は好転しない、世間に対する感謝の心が運を呼ぶということです。苦しいときこそ、考え方を変えて感謝の気持ちを持つと、人との交わりかたが自然に変わります。すると不思議に、運がついてくるようになります。
 私にとって、漫才の道をあきらめたことが逆にプラスになりました。耐えることを教えられ、当時の社長に感謝できるようになって、私の道も開けたように思います。
 捨てる神あれば拾う神あり。悩み、苦しんでいる人たちに、あきらめないでほしい、勇気を持ってがんばりましょうと声援を送りたいと思います。

正司 歌江 『私の視点・ウィークエンド』朝日新聞(2002年2月2日)より
  

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