こころの散歩
木の葉のように
木の葉のように
ある日、秋の公園で、‥‥私は長いあいだ、一枚の葉のところにとどまって、この小さな葉にいろいろな質問を浴びせかけていました。そうしているうち、木の葉はその木にとって母親だと思いあたりました。ふつうは木が母親で、葉は子どもにすぎないと私たちは考えます。しかしこの葉をじっと見つめていたら、葉のほうが木にとって母親だと気づいたのです。木の根が吸いあげる樹液は水とミネラルで、それだけでは木は育ちません。その樹液が葉のところまで来ると、葉はその樹液を太陽の光と炭酸ガスの助けを借りて、豊かな養分に変えて、木に返してくれるのです。だから葉は、木にとって母親のような存在でもあるのです。そして木と葉は葉柄(茎)によってつながれているので、茎を見れば、木と葉の関係がよくわかるのです。‥‥
次に私は、この木の葉に、秋になってほかの木の葉がどんどん落ちてゆくのを見て不安にならないか、と尋ねました。するとその葉はこう答えました。「いいえ、私は春と夏のあいだじゅう元気いっぱいでした。木を育てるために一所懸命働きました。だから私のほとんどは、もう木の一部になっているのです。私の体は葉というひとつのかたちだけではありません。私は木全体でもあるのです。私が大地に帰ったら、また前と同じように木を育ててゆけるのです。だから少しも心配したりしません。この枝から離れて地面に漂い下りてゆくときには、私は木に手を振ってこう言います。『またすぐに会いましょう』と」。
その日は風が吹いていましたから、しばらくするとこの小さな葉は、枝を離れて地面に落ちてゆきました。嬉しそうにひらひら舞い下りてゆきました。その喜びは、葉がすでにみずからを木のなかに見いだして、木と一体になっているという確信からきているのです。木の葉は幸せいっぱいでした。私は深く頭を垂れて、一枚の葉が教えてくれた多くのことに感謝しました。
ティク・ナット・ハン 著 / 池田 久代 訳 「微笑みを生きる」(春秋社)より
写真: 中司 伸聡