こころの散歩

知的障害の子ども

知的障害の子ども

 私がインディアナ・知的障害児童協会で講演をした時のことです。
 聴衆の人たちのほとんどが、知的障害の子供を持つ親か、知的障害の子どもたちの先生でした。そしてその人たちは、この子どもたちが人からどの様に扱われているかとても心配しているということが分かりました。
 そこで私は、次のような話をしたのです。

 私はミシガンの学校で、知的障害の子どもたちを普通のクラスに入れることにしたのです。すると新しく編成された6年生のクラスで次のようなことが起こりました。

 休憩時間に一人の生徒が友だちに言いました。
 「テレサ、あっちへ行きましょう。エリザベスにはかまわないで。彼女は知的障害なんだから。」そして二人は行ってしまいました。
 エリザベスは知的障害でしたが、耳が聞こえないのではありません。そこで教室の前を通って行き、先生を見つけて尋ねました。
 「ブラウニング先生、私って知的障害なの?」
 ブラウニング先生は最高級の温かい笑顔で、エリザベスの手を取って言いました。
 「そうよ、エリザベス。あなたは知的障害なのよ。」
 それから一呼吸して付け加えました。
 「そしてね、エリザベス、私も知的障害なの。誰でもそうなのよ。知的障害じゃない人っていないのよ。だって神さまは完璧な人間なんてお創りにならなかったのですもの。でもね、エリザベス、分かるのに分かろうとしない程の知的障害の人もいないのよ。」

“Art Fetting”より
  

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