こころの散歩

私の子供

私の子供

 ドイツのハンブルクでは、第二次世界大戦中、夜間、連合国による空襲がたびたびありました。そんな不安な夜、若い母親が小さな子供の寝入るのを見守っていました。突然、警報が鳴り響き、敵国の飛行機が近づいていることを告げました。幼子を抱いた母親は、急いで階段を下りて、防空壕(ごう)に入りました。しかし、その夜、空襲の音は聞こえませんでした。外は、大きな緑がかった雲に覆われていたことを、人々は見ることができなかったのです。それは、硫黄の爆弾だったのです。次の爆弾で、焼夷弾(しょういだん)が投げ込まれました。緑がかった煙と火が防空壕におしよせました。
 そこで、母親は子供を抱いて、港へと急ぎました。飛行機は機関銃を撃ちつづけ、彼女の傍らで爆弾が爆発し、子供は幼い命を絶たれてしまったのです。母はぼう然として、意識を失いました。気がついた時、彼女は病院のベッドに横たわっていました。彼女は大声で叫びました。
 「私のいとしい子よ、私の子供はどこにいるの? 私の子供を返して!」
 医者がやってきて、彼女を落ち着かせようとしました。
 「あなたのお子さんは、どんな子供さんでしたか?」
 「私の子供は良い子で、1歳になったばかりでしたが、私のことを“ママ”と呼んでいました。」
 医者は外へ行って、泣きました。ちょうどその時、救急車が到着しました。火事で、家族皆が焼死しましたが、ゆりかごのなかで寝ていた子供は無事だったのです。とっさに、医者にある考えがひらめきました。可愛くて、まだ1歳くらいのその子は、一生孤児で過ごさなければならないのでしょうか。医者はその赤ん坊を腕に抱き、爆撃で我が子を失った母のベッドの傍らへ行きました。
 「今しがた、港で眠っているこの子が見つかりました。もしかしたら、あなたのお子さんではないかと思いまして‥‥。」
 母はその子を抱きましたが、ほんとうに自分の子供だろうか、と首をかしげました。彼女が顔を近づけて、のぞきこむと、その子はびっくりして、目を開き、可愛い声で
 「ママ!」
 と言ったのです。
 「ええ、この子は私の子供にまちがいありません。ありがとうございました、先生、ありがとうございました!」

ホアン・カトレット / 須沢 かおり 編著 「マリアのたとえ話」(新世社)より
  
  

ページ上部へ戻る