こころの散歩
自分の本質と感情
自分の本質と感情
中国の奥深い山峡の村を訪れたときのことです。
村人たちは、目の前の高い山に雲がかかり、山全体を隠してしまうことをしょっちゅう経験しています。どんなに黒雲に山が覆われてその姿が見えなくても、雲の背後に山は動かずに存在していることを疑いません。村の一人のお年寄りがこうつぶやきました。
「気分なんて、山にかかる雲のようなものでさ。どんなに雲が厚いからって自分っていう山はなくならないじゃろが。雲はいっときも同じではないじゃろが。気分ほど当てにならないものもないがな」
私はこの言葉を聞いた時、まさに中国の老賢者に出会った思いがしました。自分の本質と感情をはっきり区別できる「ものすごさ」に圧倒されたのです。
それは感情に対していいとか悪いとか言わず、山を覆いながら変化し続ける雲を眺めるように、自分の中で暴力を振るう感情をまるで他人ごとのように眺めている姿でした。
鈴木 秀子 著 『愛と癒しの366日』(海竜社)より
写真: 山野内 倫昭