こころの散歩
語りかけ
語りかけ
「ご存じですか。水をかけてやる時、植物に話しかけておやりになると、相手は理解するのですよ。嘘だとお思いでしょうが、やってごらんなさい。」
正直いってそう言われた時、半信半疑だった。
当時、一つの植木鉢に朝顔の苗を植えていた。子供の時から朝顔の好きな私は、しめきった仕事場の隅にも、朝方に大輪の花を見たかったのである。
彼女から教えられた翌日から、私はその朝顔に水をかけるたびに、「たくさんの花を咲かせてくれよ」と声をかけた。
この一方的な説得は毎日つづいた。その説得が功を奏したのか、その夏、たった一つしかない朝顔の植木鉢に次々と蕾(つぼみ)があらわれ、氷いちごのような色を帯び始め、二、三日すると眼をさました私に笑いかける花が待っていた。
それだけなら、私は別にふしぎに思わなかったにちがいない。夏がおわる頃、私が朝顔にかける言葉はちがってきたのである。
「枯れないでくれよ。いつまでも花を咲かせろよ。」
そしていたわりの言葉をつぶやきながら水を注いだ。
その結果、驚いたことには、秋になっても朝顔の花は絶えなかった。週に二つほどの花は私の眼を楽しませてくれたのである。
「人間の言葉が通じているらしい。」
「本当だわ。」と家人は言った。「はじめて見ましたよ、十一月にも朝顔が咲くなんて。」
「よし、こうなれば冬の間も咲かせてみる。」
本当なのである。私のアルバムには、この記念すべき、そしてギネス・ブックにだって掲載されるかもしれない証拠写真がはりつけてある。
その日、東京は大雪がふった翌日だった。にもかかわらず、仕事部屋には大輪の赤い朝顔が両手を存分に拡げたように咲いていた。
遠藤 周作 著 「ピアノ協奏曲二十一番」
鈴木 秀子 監修 『人生には何ひとつ無駄なものはない』(海竜社)より