こころの散歩

隣人

隣人

 「よいサマリア人」のたとえでは、けが人と通りすがりの三人は、それぞれ一対一の関係であって、各自は直ちに援助行動に走るはずであった。しかし、行動したのはサマリア人だけである。
 「隣人である」ということは、隣に引っ越して来た人のようなもので、差し障りのない程度のあいさつを交わし、慣れてきたらお茶にでも誘う程度の関わりである。
 それは自分を中心にして円を描き、その輪のなかに取り込める好ましい条件を備えた人を隣人であるというに過ぎない。
 「隣人となる」とは、目前にいる人に対して、人間として生きる権利に責任をもてるように行動する関係である。このけが人のように、当人が円の中心に位置して通りかかるすべての人に「助けて!」と叫んでいる状況で、その叫びにこたえて円のなかにとび込んで行動する、それが隣人となる事なのである。

後藤 文雄 「ともに生きる世界」(女子パウロ会)より
  

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