こころの散歩
1945年沖縄
1945年沖縄
沖縄師範の教師で女子ひめゆり隊を引率していた仲宗根政善は、緊迫した瞬間をこう書き記している。
「敵兵が目前に現れた。十二名の生徒達は、車座になり寄り合って、三発の手榴弾の栓を抜こうと身構えた。福地キヨ子が、先生いいですかと叫ぶ。抜くのではない!抜くなとわたしが強く叫ぶと、福地は抜くのを止めた」
しかし多くの学徒隊員の運命はこうならなかった。
12人のグループで、潮が引いた時歩き、満ちたらカニのように岸壁にへばりついて逃げた。
「お母さんに会いたい。もう一度、弾の落ちない青空の下で大手を振って歩きたいね」と一人が言うと、皆声を出して泣いた。
米兵が現れ銃を乱射した。混乱の中、手榴弾で、10人が自決した。
2005年毎日新聞夕刊より