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6. くらしとグローバル化


「いま」のくらしからグローバル化した社会を見ると
 

「世界規模で考えて、地域で行動する(think globaly, act localy)」というのが私の「グローバリゼーション」初体験だったような気がする。
 その頃、「持続可能な開発」とか、「環境問題って何だろう?」といったテーマの本を読んだり、シンポジウムに参加し始めていた。難しい経済問題や環境問題を勉強しつつも、大豆の日本における自給率も知らずに、スーパーでは「特売二個九十八円」の豆腐を選んで買い、安いコーンフレークや冷凍ミックスベジタブルは二袋くらいづつまとめ買いをして、遺伝子組み替えとうもろこしの事も大して知らなかった。
 「世界規模での貧困」や「持続可能な発展」、「国境を越える環境問題」なんてえらそうに勉強する一方で、それを毎日の生活や行動にリンクさせるのは難しかった。そんな努力を始めたら、たちまち何も買えなくなってしまうんじゃないかと思っていた。


安いユニクロ?!でもちょっと待てよ
 

 例えばユニクロのフリース。シンプルなデザインと色と値段が私の好みだけど、それがどこで作られたか気になるようになった。値札と生産地を見て、ふと立ち止まって考えてみた。
 私の一日の消費はせいぜい千円か二千円で、日本経済、ましてや世界経済に影響を及ぼすことなんて想像がつかない。でも果たしてどうだろう? それら小さな選択のひとつひとつが「チリも積もれば」で世界経済の市場の歯車を回している。少なくともそれを回している企業を後押ししているのではないだろうか?
 ユニクロのフリースが安いのは素材が安い粗悪品なのではなく人件費の安い中国で生産されることでコストを抑えているからだ。このユニクロの服を買うことは低コスト競争に拍車をかけているかもしれない。原料費、人件費をますます切り詰めなければ企業は市場の競争に勝つことはできない。
 今年3月、繊維業界関係者は日本政府に国内産業を守るような特別措置を取るように要求した。私たち消費者に安い商品を提供してなおかつ大きな利益をあげているユニクロは同時に、人件費の高い日本の繊維企業を窮地に立たせている原因の一つになっている。


安さと引き替えに売り渡しているのは
 

 安いモノは結局誰の利益になっているのか?誰の、どのくらいの犠牲の上に成り立っているのか? 私がグローバリゼーションを理解するために知らなければならないことは、実は暮らしの中のシンプルなことなのかもしれない。ところが企業の広告などが、私たちの「感覚、センス」を気付かぬうちに鈍らせている。株価上昇や効率、最適な資源配分、適地生産の名の下に消費者と生産者が離ればなれにさせられてしまったことで私達が失ってしまった「ものを作る」感覚もその一つだろう。生産者には機械化や合理化を要求して、消費者には目の前の「低価格」というお得感を上手に示す。ま、いいか。安いんだし。という声も聞こえる。
 知ってしまわなければ良かった、と思うかもしれない。それでもやっぱり私は知りたいと思う。知っていれば避けられる。一度知ってしまえばそれをもはや知らないふりはできないからだ。知ることとは、変化に敏感であることかもしれない。誰かを傷つけていることを知れば、時間はかかっても行動も変わるかもしれない。私たち自身が実は、この生きにくい関係を作り再生産している張本人だったことにやっと、何となく気付かされはじめている。
 私たちが環境問題を通して知った危機はもう「未来世代」か「第三世界の誰かの貧困」というどこかよその世界の話ではなくなっている。いま、ここにいる私達の働き方、生活環境、水、エネルギー、空気、といったものに影響が見えはじめている。グローバル化、急速な貿易の自由化による貧富の差の拡大とは、技術の進歩やIMF・世銀のような国際機関による開発支援で解決できるような小さいことではない。安さと引き替えに売り渡しているのは、私自身の生活基盤、食の安全、静かで、豊かな暮らしなのかもしれない。

(文責 竹下美穂)
SEED JAPAN のホームページ (URL:http://www.aseed.org/) リオマイナステン・キャンペーン 分析レポートより



(特集-地球環境 6 2002/10/4)

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