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7. 星に導かれて
希望とは、どういうものだろうか。それは夜空に輝く星のようなものかもしれない。イエスがお生まれになったとき、東方の三博士は星に導かれてイエスを拝みに行った(マタイ2・9-11)。私たちも希望という星に導かれて、救いのあるところにたどり着きたい。
星は昼間には見えないものだ。私たちが元気なとき、満たされているとき、そういうときは、人生の昼間の時だ。今が満たされているなら、希望を抱く必要はそれほど大切なことではない。今の喜びを持続させればよいのだから。そういうときは、希望の星は必要ないだろう。星の輝きに目をこらすこともないだろう。
星が必要なのは、夜の時だ。困難や苦しみに直面しているとき、夜の暗闇の中で、星を探す。暗闇に輝いてるからこそ、小さい、ほのかな星の光が輝くのだ。その星に信頼して、私たちも歩んでいきたい。例えば、分裂の中でもねばり強く対話をしていくこと、障害があっても日々の小さな努力を積み重ねること、または、悲しみの中でも小さな微笑みの種を見いだしていくことなど。
あなたがどんな漆黒の夜を過ごそうと、星は輝いている。その星を見つけよう。そして、その星に向かって、歩み続けるならば、きっとたどり着くだろう。あなたの救い主に。
そしてついには、あなた自身が星となる日が来る。あなたの存在が希望のしるしとなる日が。まわりがどんな暗闇であろうと。あなたが星のように輝いて、人びとの希望のしるしとなるのだ。あなた自身が希望へと変容していくことだ。
「世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つこと。こうして、自分が走ったことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう」(フィリピ2・15-16参照)
(特集-希望の光 7 2005/1/7)