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14. 神に向かってひたすらに Ⅱ
ミカエル薬屋
(最も尊いもの、それは愛)
長崎、興善町の一住民で薬屋をしていたミカエルは、若い頃からこの組に入っており、少なくとも1618から慈悲役、つまりミゼリコルディアの組の会長として働きました。禁教令により、信者たちの活動が禁止されても、長崎のよきサマリア人であるミカエル薬屋は、長崎の坂と言う坂を生命をかけて歩き回り、病人や牢にいる人を訪ねては世話をし、励まし、静かに隠れて黙々と善行を続けていました。
しかしこのような隠れて行われた慈悲の行いも役人の目を逃れることはできず、ミカエル薬屋は、遂に捕らえられ処刑されることになります。処刑当日に、ニコラオ福永ケイアンというもう一人の受刑者と共に後ろ手に縛られて西坂の殉教地へ向います。その途中、ミカエル薬屋は突然「すべての国よ、神をたたえ、すべての民よ、神をほめよ」と歌い出し、連行される最後の坂道で神への賛美をささげ、火刑に処せられる炎の中では、「ラウダーテ、主をほめたたえよ」という詩篇を唱えていたといいます。最後の祈りは彼の生涯を象徴する賛美の祈りでした。
ミカエル薬屋の罪状書き、それには「この者は、施しを集め、その金で殉教者の未亡人や孤児および宣教者を助けていた。」とありました。まさに「私が飢えていた時、食べ物を与え、牢にいた時、見舞ってくれた」という福音を生き、最も尊いもの、それは愛であることを身をもって証した生涯でした。1633年7月28日、長崎のミゼリコルディアの創立から、ちょうど50年目の年のことでした。
各地の慈悲役は、その後潜伏教会の要となっていきます。
参考資料:
・キリシタン地図を歩く(ドン・ボスコ社)
・ペトロ岐部と一八七殉教者(列聖列福特別委員会 編)
・恵みの風に帆をはって(ドン・ボスコ社)
(特集-日本の殉教者 14 2008/7/4)