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14. 飢餓と福音宣教(1)
――第41回国際聖体大会(1976.8.2)における基調講演よりの抜粋
世界のどこかに飢えている人がいる限り、世界のどこでささげられるミサも、ある意味で不完全なものとなります。私たちは聖体を拝領するとき、世界内で飢えておられるキリストを受けるのです。・・・ですから私たちは、どこででも、生きるためのパンを求めているすべての人にそれを与えなければ、生命のパンをふさわしく受けることはできないのです。
・・・今日、私たちが直面しているような不正状況は、構造や制度を変更したとしても、その内部の人間を変えない限り、変革は不可能です。・・・新しい国際経済秩序は新しい国際精神秩序の上に築かれ支えられて、初めて維持されるのです。
では、どのようにしてこの精神と心の変革をもたらしたらよいのでしょうか。・・・兄弟姉妹である皆さん、それは「聖体の中に」です。使徒たちと初代キリスト者がパンを裂くことによって、この新しい精神的秩序を生きたように、私たちもパンを裂くことの内にこれを見出せるのです。・・・ところで、共同体の外面に表された礼拝は、公的祈りであろうとパンを裂くことであろうと、その共同体の内的生活を真に表す時にのみ、意味があるのです。この内的生活は(使徒言行録2章の)二つの特徴、すなわち、「使徒たちの教え」と「兄弟的交わり」にあります。
使徒たちの教えは不可欠条件です。キリストへの信仰なしにキリスト者共同体はありえず、キリストの言葉が述べられ、聞かれ、受け入れられなければ、キリスト信仰もありえないからです。・・・憎悪や暴力や絶望に陥りやすい世界に、神の言葉は、愛と正義と平和を知らせます。これは希望の知らせです。
(また)ルカは、兄弟的交わりの実践上の意味を的確に詳述しています。
「信者となった人たちは皆、いっしょにいた」(使徒言行録2・44)これが物理的なことを指していないのは明らかです。なぜなら、彼らは3千人ほどであった(同2・41)とあり、彼らが順々に一人の信者の家に行ってパンを裂いていたことがわかるからです。しかし彼らは霊的に一致し、真の共同体を作っていました。・・・すなわち、「彼らは一切の物を共有していた」(同2・41)のです。これもまた、物理的共有という不可能事を指しているとは、到底考えられません。これは、一人一人が自分の財産の用途を自由に決定する所有欲を捨てた、とらわれない心を表しています。
・・・この共有は、二つのきわめて実際的な結果を直接招きました。第一は、「資産や持ち物を持つ者はそれらを売り、それぞれの必要に応じて皆に分配していた」(2・45)ということ。第二は、「彼らの中には、一人も乏しい者がなかった。」(4・34)ということです。ここに、真のキリスト者共同体の典型が最も簡素に、美しく描かれています。その成員は、神の言葉に教えられて、共に祈り、パンを裂き、一人も困った人がないよう、持ち物を分け合うのです。これこそ、初代キリスト者にとって、感謝の祭儀にあずかることの意味であり、またこれこそ、私たちが今日、再発見しなけらばならない意味なのです。私たちはたいてい皆、そのために生活の根本的変容、本当の回心、メタノイアを要求されるでしょう。
(特集-アルペ神父 14 2006/9/1)